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サクラ/旧豊宮崎文庫

2014.4.3/4.6


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伊勢神宮外宮の東隣にある旧豊宮崎文庫のサクラを撮影しました。ここには、市指定の天然記念物であるオヤネザクラ(お屋根桜)が2本あります。

◎お屋根桜の由来は、豊宮崎文庫創設のとき、その主唱者の一人出口延佳の家の屋根に生えた苗を移植したとも、外宮古殿の屋根に生えたサクラとも言われる。と言われるように二説あります。
特徴は、ヤマザクラの新種で、花は始めから白く五弁。花梗とめしべの下部に毛がある。このように説明はされています。

第1回め4月3日の撮影は、一般公開日ではなく中にはいれませんでしたので、周辺の道路から撮影しました。2、3、5、6、8番目の写真がそうです。このときは、どれがオヤネザクラかわかりませんでした。

第2回め4月6日の撮影は、一般公開日でしたので敷地内に入ることができました。お屋根桜と標識がありフェンスで囲まれている2本を確認しましたが、すでに花は遅く、緑の葉だけになっていました。昨年度門や塀の修復の際にオヤネザクラを傷つけないように、そこだけ塀の高さを低くして修復されています。ここの位置から推定すると、第1日目に撮影した、5枚目と6枚目のピンクのサクラがオヤネザクラではないかと思われますが、「白い花」と説明にはありますが、いろいろネットで検索をしていると、「咲き始めが白く清楚に咲き始め、徐々に淡いピンクに変わって艶やかさを増し、散り際はすべての花々が濃いピンクになると散ってゆく」との説明もありますので、3日後には散ってしまっていたことも考えると、やはり5、6枚目がそうなのかなと思いますが。。。来年きちんと確認しつつ撮影したいです。

◎豊宮崎文庫とは

この文庫は、内宮の林崎文庫とともにわが国における図書館史上に異彩を放つ施設である。
 慶安元年(1648)、外宮権弥宜出口延佳の首唱により、祠官、山田三方、町年寄りの協力の下に創設された。

 文庫の経営は籍中と称される有志により行われ、寛文元年(1661)、山田奉行所八木伹馬守は幕府に請願して文庫の永代修繕費として二十石の寄進を受けた。
 以来、外宮祠官子弟の修学道場として発達し、図書館と一種の学校の生活を併せ持ち、文庫内には書庫、講堂等があり、
 また十七条の文庫令条を設け、毎月一定日に神典、儒書等の講義がありました。
 時に貝原益軒、伊藤東涯、大塩中斎等の多くの碩学の来講もあり、公家、山田奉行、御師、学者等からの多くの書籍の奉納で、充実した施設となったのです。

 明治元年(1868)、この文庫は廃止され、宮崎学校が開設された。同十一年には火災により講堂が焼失した。しかし、厄災を免れた二万余冊の書籍類は神苑会を経て同四十四年に神宮へ献納され、現在は神宮文庫に所蔵されています。(郷土資料館資料より)

使用カメラ

4/3 SONY DSC-WX100

4/6 OLYMPUS OM-D E-M5 M.ZUIKO DIGITAL ED 14-150mm F4.0-5.6 フィッシュアイボディーキャップレンズ BCL-0980(9mm F8.0 Fisheye)